セルフブランディングの要素が
強い本には気を付けろ。
今回はそんなお話です。
こちらのブログの記事に出会いました。
個人的にこのサイトは好きでオススメです。熱量とボリュームが違う。
ビル・ゲイツなど、大富豪の読書量は、年収300万円の人の38倍「でも、有名になりたくて、仕方がないミーハー著者の本を読んでも何も変わらない。」
全体という訳ではなく序盤の一部分に出て来ます。
その記事の要約はというと、最近の著書にはセルフブランディングとしての出版が多くなったとの事。
つまり、出版する事そのものに重きが置かれていると指摘していました。
本来はそういう短いサイクルで出せるものではないという考えが横たわっています。音楽やデザインの世界も同じかもしれませんね。
五輪エンブレムの問題の時にも同じ事を私は感じてしまいました。
難しい事は何もなく、
本来、”良いもの”や”本物”には時間が掛かります。
そんなテーマです。
あなたは出会う事がありますか?
私は(今は少なくなりましたが)、出会った事はあります。
何に?
検索すればわかるような内容程度の書籍です。
少し尖った表現になる事はお詫びしたいのですが、たとえそうでも、安ければ問題無いと思っているのも事実です。
情報も価値であり投資です。ありきたりな情報には安い金額が付くのは当然の事です。
繰り返しますが、情報も価値であり投資対象。
安かったらいいかというものはこれまでにありました。
今も手元に置いているものもあります。
ところが大々的に謳い、金額的には決してそうではない現実の存在も否定出来ません。
Contents
本来の書物の意味・在り方は。
他者に情報を与える事。
そんな事をこちらの記事でも触れました。
もしかしたらあなたはこう思うかもしれません。
楽しければいいじゃん、と。
ただ、その楽しいというのも情報です。
レストランが出す美味しい料理も情報です。
感情を与える情報とここでは考えて下さい。文学小説も漫画も然り。
ところで、先程の「他者に情報を与えるもの」という物にはもう一つ、世界最大のものがあります。
もうおわかりかと思います。
それはインターネットです。
今は自由に発信出来て繋がるコンテンツマーケティングやネットビジネスにも急速に応用されつつある時代。
そんな時代へ差し掛かった事は、個人的に嬉しく思います。
素敵な事ではありませんか。
一方で、情報を得る為の書籍にとっては、検索という巨大な壁が出来た事は、文明への喜びも感じながら、恐ろしくもあります。
活字の世界の真価が本当に問われるのではないでしょうか?
クワバラクワバラ。
ではその真価は何処にあるのだろう?
数よりも質で、時代にない物。
私は好きでよく読みます。最近は占めるウェートが少なくはなりましたが。
今でも読みたいという気持ちは変わりません。
ところで、往年の文豪達の作品数を考えた事はありますか?
これには結構バラつきがあるのです。
ここで一つ一つの詳細は割愛しますが、書く人間にとって、著作量が多い事は一つのステータスかもしれません。冒頭の著者達のように。
ただ、研究者が調査してわかった事や、私達が気に留めておかなければいけない事もあります。
それは、彼らはある意味芸術家なので、恐ろしいまでの作品数の裏側や、空白の期間が出来たりするその背景には、常人の域を越えた精神状態が絡んできます。
だから、(音楽家やミュージシャンも同様ですが)質が濃くて量が多いという事はありうる話です。
さらにノーベル文学賞レベルのものになると、内容も普通ではないとの感情が浮かぶのが予想されます。
同じ本の世界でも一概に比較は出来ませんね。
ですが、一つだけ言える事は、
時代を越えた摂理や洞察といったコンテンツが真価を表しているのだと信じています。
コンテンツマーケティングをする時も、
一人の表現者。
ブログのような媒体も書籍も、真価が問われるのは、時間を掛けて作り込む事。
どこにも無い独自の考えや情報を考える事。
検索の世界に負けない、あなただけのものが武器。
Googleも検索の世界の番人でありながら、そこを目指しています。
参考文献:「ダン・S・ケネディの世界一ずる賢いフェイスブック集客術」
ペラサイトははじきます。
同じように最初に引用した記事では、ペラ本が多くなった事を言っているのでしょう。
個人的には良書に出会う確率が増えてからというもの、ある種の基準が出来てしまい、共感せざるを得ません。
その中の1つが検索で済むかどうかでした。
出て来たのを覚えていますでしょうか。
どうやら出版の世界も。
稼ぐ事は決して悪い事ではありません。
ただ、じっくりと色あせない名著を残そうという志よりも、個人のブランディングや利益に目が行ってしまうようです。
内容が焼き回しのものに出会った経験もあります。
深まったバージョンなら喜びますが、現実は量産型が生まれては消えていく繰り返しのようです。
何だか古典の世界の「もののあはれ」か「諸行無常」。
書物でそれを伝えるはずが、書物自体がそうなってしまっている。
でも、そんな時代を冷静に受け止めながら、良書を探し続ける。
それは皮肉にも楽しみを増やしました。
だから、良書を出そうとする出版社には愛着が沸きます。
あなたは如何ですか?
後世まで残しても良いと思えるような、心を揺さぶられる文献に出会いたいと願って言葉を止めます。
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「「私、本出しましたよ」的な本より、後世に貢献する書籍に出会ってほしい。」への6件のフィードバック
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