ここまでお読み下さり有難うございます。
前編からの続きです。
2分でわかるガチな概要は前編で。
真実はエグイ。人でなし。
倫理に背を向けたり、人を使っての実験は当たり前。
建前上は善意を装う所がやるせない気持ちにさせます。余計に。
本書で知ることとなるタバコ産業のマーケティング手法は、実に巧妙でクオリティが高いと認めざるを得ませんが、天使と悪魔が脳裏でも紙の上でも闘い続けています。
その餌食になった喫煙者は依存症になり骨抜きに。
依存性があることも、有害であることも隠し、嘘を通した企業。それを暴く団体とのバトル。
これらがつい最近までの話であることに驚かされます。
前編ではそんな知られざるタバコの本質と、その広告戦略に焦点を当ててレビューしました。
もしあなたが本気で知りたいという場合、ここからお読みでしたら、
まずはより良い伝達の為に前編の概要を読む事をオススメします。
というか、いきなり後編を読んでもあなたのお役に立てないのです。
言葉のトリックにおいても喫煙者を獲得してきたタバコ産業。
一例として、昨今の加熱式タバコも、まるでプロパガンダのように言葉が先走り、売られているような気がしなくもありません。
具体的には、害は少ないとか、煙りが少ないとか。さらにはタバコではないとかまでも。
研究成果を基にして、しきりに議論されているのも紙面で時折見かけませんか?
ただ結局のところ、全ては生命を脅かしながらのタバコ会社を潤すための種でしかないと悟れば、どんな理屈も下らなく、どうでもよくなりますね。
同じように、かつてはタバコ黎明期にも葉巻と紙巻のどちらが体に良いかという不毛な争いがあったと言います。
タバコの本質はいつまでも変わらないのに、言葉で踊らされてしまうのは企業の思う壺です。
そしてまたここに、もう一つの言葉が登場します。
タバコ産業が、言葉巧みに、あるタバコを開発するのです。
Contents
「ライト」という呼び名に秘められたカラクリ。
あなたは「ライト」と名の付く銘柄を吸ったことはありますか?
マルボロ・ライトなんて呼ばれるようなあれです。もしありましたら、この部分に是非注目して頂きたいのです。
まず、この「ライト」の意味を知っていますか?
その意味は決してタールやニコチンの摂取量が軽いとか、害が少ないというわけではないのです。
決して、です。
これもまたコピー(言葉)の魔術。
個人的には、深く考えたことは無かったなという印象を残していきます。
同じ植物(葉)を使ったタバコそのものに違いなんかありません。
そうではあるものの、これまでタバコ会社は、様々な批判と論証に抵抗しながらも、安全なタバコが出来はしないものかと模索してきました。
ただ、よく考えてみて下さい。
本当はズルい言葉だった。
安全なタバコ・・・響きは良いですが、それを開発して売るということは、これまで抵抗してきたタバコ有害説を認めてしまうことになるというジレンマがありました。
そもそも安全なタバコなんてあるわけがありません。
そんな中、名付けられた「ライト」という言葉は、逃げ道としてのフレーズだと気付かされていきます。
真実を離れ、言葉ありきのイメージを私たちは植え付けられているのです。
タールおよびニコチン含有量が少ない低タールタバコを扱ったとしても、結局、喫煙者は必要量のニコチンを求めます。喫煙者は必要なニコチン量を吸入するために、より多くのタールを吸入することになるわけです。つまり、喫煙者は低タールタバコにだまされているのです。(p146)
軽いものは大きく吸い、肺の細部に入る。
細工の無いフィルターを通らない副流煙も同じ。
結局は何も変わらない結果に対して、言われてみるとそうだよなと感じさせる内容が続きます。
加えて、法的に食品でもなく薬品でもないタバコには、その品質に関する表示の義務も無く、それが許されてしまうようなものに安全や軽いなどという理屈など幻想とは言えませんか?
結局、ニコチンとタールが必ず含まれる以上、タバコはどのように設計しても「安全」にはなりようがないのです。(p164)
「ライト」であろうと、「安全」を謳おうと、中毒にさせることが、タバコ会社にとっての大義。
こうして多くの調査結果に言及しますが、大事なことはそれらに対して上げ足を取るのではなくて、言葉のカラクリや細工に気付いて本質を知っていくことです。
そんなカラクリによって誤った印象が蔓延していくのです。
やはりここでも吸う行為が馬鹿らしく感じても、喫煙者は順調に増えていきます。
もう吸う人がいない? ならば吸ってくれる人を探そう。
次は未開拓市場への拡大。
西側諸国で頭打ちになったタバコは、さらなる中毒者を増やすために東欧や発展途上国へと。アジアも彼らにとっては魅力的な市場でした。
主に1980年代の話です。
台湾と日本が米国のタバコ産業に市場を開放したところ、未成年者の喫煙率も上昇しました。台湾と日本は米国の圧力に屈し、国内市場を米国をはじめ海外のタバコ会社に開放したのです。(p190)
前編の概要でも触れた、かつての帝国主義の縮図を見ていくような気にもなります。
私たちも知っているような、世界を席巻しているタバコ会社は主にアメリカ・イギリスの会社です。その米英の会社がまるで侵略の如く。
一方最近では、日本のJTが市場拡大のために、マイルドセブンの名称をメビウスへと変えましたね。国外、特にEU圏では「ライト」や「マイルド」の表記を禁じているからとのことです。
ということは、先ほどの「ライト」の問題と同じで、誤解を避けるためというところでしょうか。
さて、そんな米英の会社の市場拡大において、その証言を読んでいけば、呆れた気分にも。
一例として、これはロスマンズ社アフリカ・ブルキナファソの代表の言葉。
「この国の平均寿命は約40歳です。乳幼児死亡率は高く、当地ではタバコによる健康被害など表面化しないでしょう」(p191)
!!!
この例に限って言うのならば、元々、寿命の短い部類の国では、タバコの有害さのせいにされないということですね。
呆れます。
これは氷山の一角とは言え、拡大を正当化していくことと、ここまで自らの利益に貪欲になれることに複雑な感情は消えません。
あなたは如何ですか?
次は90年代、それまで鉄のカーテンと呼ばれ閉ざされていた東欧の旧共産圏の崩壊を上手く利用しようと企みます。
ここまで読んできて、主観で正直に思うことがあります。
それは流通や拡大についての世界の構図です。
先ほど縮図と書きましたが、市場拡大を考える時、自動車であれ電化製品であれ、人口の多い中国を目指したり、それまで物資の無かった旧共産圏やアジアへという構図は今も昔も変わりません。
だから清濁を併せ呑むしかないのでしょうか。
タバコは害があるから余計に批判されるのですが、一方で、他のものは命を奪うような商品ではない所だけが、せめてもの救いでしょう。そして考えさせられます。
そしてページをめくっていくと、最後の市場へ。
侵略はまだ続くのです。
女性という最後の巨大市場。
女性の喫煙率の低さに目を付けてイメージ戦略。
女性が手に取りやすいようなイメージを考えていきます。
男性は頭打ち。そして既に男性が吸うものというイメージは出来ていますね。
規則がより緩やかな第三世界では、タバコ産業はディスコやレイブパーティーのスポンサーとなり、主に若い女の子を雇って、若い女性や女の子たちに無料でタバコを配りました。(p204)
これまでの戦略の総決算。
「女性喫煙者は、ライフスタイルを刺激するようなイメージ戦略を用いたキャンペーンに、より感化されやすいようである」(p206)
そして次には安全・健康へのアピール。
特に”ライト”をはじめとする女性向けブランドの広告は、より欺瞞に満ちていました。こうした製品は、健康への安全性を謳っているにもかかわらず、他のタバコと同様に健康へのメリットなどまったくありません。(p218)
建前としての女性の自立を支えるような戦略も、実は幻想でしかありません。
私たちの子孫ということを考えた場合、母体を守るという意味でも、この嘘に満ちた浅はかなイメージの真実は、人類の一員として後世に伝えていかねばなりません。
恐らくは、こういった書籍の向こう側にいる方たちも同じ気持ちかもしれませんね。
本書に登場した気になる書籍。
関連書籍も面白そうなのが多いです。
まずはこちらから。
こちらも証言を基にした本です。裁判所でのワンシーンが本書で引用されています。
中古でのみ手に入るようです。
本書の中では、米国の公共政策の成功例として喫煙率の減少が引用されています。
タバコの煙に含まれる化学物質は4000種類以上。
日本のタバコ産業が明らかにしないその事実と化学物質を挙げています。また、著者の山岡雅顕氏は禁煙ドクターとして知られていますね。
タバコ産業が世界各国の業界コンサルタントを雇い、受動喫煙の問題を隠し、情報操作する様が描写されています。
巻末の参考文献というか資料は恐ろしく多いですが(すべて英文)、本文の中で具体的に取り上げられてきた書籍をピックアップしました。
また、本書中にはありませんが、気になる書籍にこんなものもあります。
ここで、ちょっと立ち読み。
まとめ。
読み応えはありました。
禁煙・卒煙の助力としてもバッチリです。
大抵の喫煙者が、それなりの年月でタバコを吸っていくと思いますが、本書に書かれている真実をほとんど知ることも無いまま、その年月を費やすことに愕然とします。
考えを巡らすことも無くして嗜んでしまうものなのでしょう。
好奇心で始まり、有無を言わさず中毒となり。
勿論、かく言う私もそうだったのですが、真実に向き合えたことは感謝しなければいけません。
タバコをやめて離れたことによる喪失感よりも、やめられて自由になれた喜びの方を大きくさせてくれる良さが本書にあります。
真実はかなりエグイですが、読んでみるならば今です。
ただ、今はもう中古でしか手に入らないのがとても残念です。
「悪魔のマーケティング」
ダイレクト出版
あなたのその1本が、悪魔のエサに。
最後に:
悪戯なマーケティングほど緻密で巧妙。
マーケティングを学ぶために多くの書籍に触れていますが、心のどこかでそんな想いを抱いているのは私だけではないと思います。
あなたは如何ですか?
かつてこのレビューをした時も同様の感想を抱きました。この書籍です。
悪いことにそのまま使うのは簡単です。それでは芸もありません。
そうではなく、頭を使って様々な要素を抽出していく能力が求められるのかもしれませんね。
皮肉にもマーケティングや広告、さらには訴訟にまで幅広く、完成度の高いドキュメンタリーがここにありました。
見応え、読み応えのあるバトルです。
さよなら、タバコ。
あなたのその1本が、悪魔のエサに。
「悪魔のマーケティング」を見たい
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「ガチで独創的なレビュー:「悪魔のマーケティング タバコ産業が語った真実」(後編)」への1件のフィードバック
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