禅を一言で言うと何なのでしょう?
そう言われると何となくしかわからない人の方が多いかもしれません。如何ですか?
かく言う私もそうでした。
だから学ばなければいけないなと思わされています。
「禅は無の宗教」
(Amazonのリンクに飛びます。その他は下記にて)
本書は冒頭の疑問に対してわかりやすく答えを出してくれています。入門編としてはとても最適。
もしあなたが、禅に興味があり何かを読んでみたいけど、どれにしたらいいのかと悩んでいるのでしたら、本書をオススメします。
禅は、生きる上で心から大切にしたい考えの宝庫。加えて、心を穏やかにしてくれるのです。
本書は決して売れ筋ではありません。
ですが私としては、良いなと思ったり、純粋に感銘を受けた本を知ってもらいたい。
加えて、良くないなと思っても、そこに対しての考えを冷静にお伝えしようと心掛けています。
そんな中で本書は、私にとって掘り出し物でした。
これまでの経験を言いますと、宗教関連の書籍は、読みやすいものから非常に難解なものまでいろいろありましたが、この福島慶道氏の書籍は総じて読みやすいので手にしてみては如何でしょうか。
本記事でも他の書籍を紹介します。
Contents
最初はアメリカでの禅の講義を文字にして始まる。
わかりやすい内容で、心にスッと入って来る理由の一つです。
禅僧である著者が、1989年にカンザス大学へ招かれた際の講義記録から始まります。
生徒との質疑応答の生の記録もあり。素朴な疑問に答えています。
そのテーマは、禅とは? 無とは?
ところで「無になる」ということは、一体どういうことでありましょうか。
(中略)
精神的に自分を完全に無くし尽くすということであります。(p7)
禅を語っていく時に、この最も基本となるものを、アメリカの大学での講義から取り上げたのには何か意味があるような気がしてなりません。
というのも、仏教へのバックグラウンドの無いアメリカ人に説明しているからです。
つまり、わからない人に説明しているからわかりやすいのだと思わせていきます。
だから入り口としてはこれで十分ですね。
このアメリカでの講義形式は第一章のみですが、ページの比率はやや多め。重要さが伝わります。
その中には、訳語に対しての言及もあることから、逆に英語から日本語の概念を知っていく利点もあります。
文化の違いもここに。
つまり”No Mind”を”No Thinking”と理解するようであります。それが問題でしょう。「無心 ー ノーマインド」は決して「ノーシンキング」ではありません。むしろ”Free Thinking”であります。(p30)
ポリポリ。
その後、禅から派生する石庭や書道が好きで調べているうちに、うわべのイメージだけでしか捉えていない自分が恥ずかしくなり、もっともっと知りたくなったという経緯があります。
今では石庭や円相にまつわる書籍は愛読書。
無がキーワードで説明が濃い。
みっちり教わります。
そして感銘を受ける説明の数々。
禅の心を知る聖書のように一冊携えておきたくなります。
つまり禅の無心は、こちらの心が空っぽであるから何にでも自由に対応できる「フリーマインド」であります。そして、何にでも新鮮に対応する意味で「フレッシュマインド」であります。そして対応する主体からいえば、まさに「クリエイティブマインド」であります。(p32)
彼の想いを要約すれば、無になることは己を捨てて、自由になること。
そうして無の心を持てば、多くを受け容れて、様々な対応が出来る。
「無」という言葉を使っていても、「無い (No)」わけでもなく、「空っぽ (Empty)」というわけでもない。
決してワンパターンではない。
だから本来は英語に訳せないものでもあり、強いて言えば「Free」だと。
あらゆるものから解き放たれたイメージでしょうか。
あなたは「無」というものをどう考えていますか?
無の概念には、あなたの仕事にも日常にも、座右の銘として役立ちそうな思想が眠っています。
全体の流れは禅の基礎から応用まで。
入り口でのアメリカでの講義を過ぎると、第二章からは日本での講義に。
相変わらず堅苦しい文ではなく、丁寧な語り口なので読みやすいです。
あまり普段は聞くことの無い仏教の歴史的背景や小話を交えながら、より深い知識を伝えられていきます。
なぜ、私が達磨さんを取り上げるかといいますと、達磨さんは禅宗の第一祖であり、インドから中国へやってこられて、「禅」という仏教の宗派が成立した元になっているからでもあります。
その達磨さんが伝えたものの中心は何かというと、それが「心」なのであります。(p50)
知的好奇心は満たされていくのではと思いますが、如何でしょう?
しかも、第二章以降はほぼ昭和50年代の話に。
そう聞くとためらいが芽生えるかもしれませんが、驚くことに古さは全くと言って良いほど感じさせません。私も後で気付いたほどです。
それほどまでに、いつの時代でも通用し得る概念や思想なのだと思い知らされていきます。
土台としてキチンと無を知った後は、それを踏まえた禅の心と道の話へ。
そして著者の入門の経緯や、実際の厳し過ぎる修行のエピソードも。
手に取るようにわかり、具体性を帯びていく解説が有難く感じさせます。
禅は日常にあり、特別なものではない。
禅の心は自己に執着しないこと。
さて、そう読み取れていきますが、この考えは人心掌握の書籍にも通ずる思想でもありますね。
例えば、海も宗教も越えて、このベストセラーにも繋がっていく雰囲気も携えています。
「人を動かす」
(Amazonのリンクに飛びます)
そう考えるとやはり禅は、日本人として全てに適用出来る基礎。
これがアイデンティティというものなのでしょう。
「禅の心」による日常生活において、「他を愛する世界」「大いなる慈悲の世界」が、理想として望まれるのは、「禅の心」が「無の心」だからであります。心を無の状態にするためには、我利我執の自我、エゴイズムのエゴがあっては、とうてい果たされません。(p69)
これはごく一部ですが、日常生活における心の保ち方にも言及。
「無の心」の毎日が、「無の自己」の毎日が、煩悩の塊りのこの身を「この身即ち仏なり」の自分に高めていくのであります。この時、われわれの平常心は見事な「禅の道」となっていくのであります。(p84)
活かし方がわかっていくのは良いですね。
最後はおさらいの雑記。
今で言うブログのようなものであり、エッセイのようなものでもある内容が最後の第七章に。
何の前触れもなく突然始まる印象は拭えません。
また、何のためにあるのだろうという疑問と、要らないのではという想いが脳裏にチラつきながらページを進めていきます。
そこには著者の福島慶道氏の日々の何気ない実体験に加え、仏教的考えも取り入れながらの意見。
穏やかさは終始変わりません。
読んでいくと、これまで展開された本書の第二のテーマともいえる日常と禅、そして仏教との結び付きの応用とも考えられます。
著者は科学技術や教育等、様々な分野に造詣が深く、その結び付きは勉強になりますね。
ただこの辺りまで読んで進めて来ると、繰り返される内容や思想が気になり始めます。
もっとも、別の場所・様々な日時での講義・講座をまとめたものなので、被る箇所が出てくるのは仕方無いことなのかもしれません。そのおかげで、いやでも記憶出来るという利点にも置き換えられます。
えてして影響される名言の多い書籍。
気に入って随分読み込んだものですから、一部中心が割れたり、ボロくなっています。
印象に残った言葉たち。
名言の宝庫と言えど、お伝えし切れないのを悔やみつつ。
ここでは本書の要になる台詞を集めてみます。参考にしてみて下さい。
その『孟子』の中には、非常に教訓的な教えがたくさんありますが、「道は爾き(ちかき)にあり、しかるにこれを遠きに求む」という言葉が出て来ます。(p74)
個人的に一番印象に残ったものです。
仕事でも日常でも当たり前のことを当たり前にやるのが道になるという論理は実感します。基本や原理が何よりも大事で、背伸びしたところでそれは砂上の楼閣。
現実の世界は、まさに二元的対立の世界でもあります。(中略)禅はこの二元対立に執着することを嫌います。この二元対立を超えろと力説します。(p83)
超越という表現にはとても惹かれます。
何物にも惑わされない心の強さも見られるのではないでしょうか。また二元対立を超えることは、ひとえに、むやみに争わないという思想にも直結しますね。
そういう厳しさの中で、柴山老師が私に言い続けてくださったのは、「バカになれ、バカになれ」のひと言だけでした。修行の初期はどうしても知性に頼りがちです。(p122)
やはりこれも心の「無」に繋がる考えです。
心も脳も空っぽな状態が、むしろ知を得ていくと言ってもおかしくはありません。「無」こそがとらわれず、自由を呼ぶという思想で一貫しています。
ところがどうも「仏」の意味が、正しく理解されていないようである。もちろん、仏教僧の説明不十分のせいでもあるが、「生仏」と「死仏」に分けて説明してみたいと思う。(p182)
本書を通して、よくよく考えてみれば、わかっていなかったなと気付かされることが多いです。
仏教と一言で言っても、では何が仏なのか?
目前を通り過ぎてしまう言葉。
その概念を改めて考えさせてくれる良さを感じると同時に、深い思考力を育ててくれるような気にもさせます。
※参考記事:
関連する本がたくさんあるので紹介。
福島慶道氏は他にも多くの著書を出しています。
禅に触れる早い段階で彼の著書に触れられたのは良かったと、主観では思っていますね。
何故かと言うと、あなたにもこういうことはありませんか?
もし最初に触れたものにあまり良い印象を受けなければ、その後も敬遠する気持ちが起こり得ること。
だから最初は肝心。
他にもオススメする著者と書籍があります。
スポンサーリンク | スポンサーリンク |
禅の世界では、
二人の鈴木が欠かせない。
二人の鈴木が欠かせない。
まず1人目は、この著者よりも先にアメリカで布教に尽力した鈴木大拙氏。
本書でも言及されていたこともあり、興味を持ってこちらの著書にチャレンジしたことがあります。
かなり難解で、理解するのはかなりの時間を要しそうです。
そして2人目は、鈴木俊隆氏。
「禅マインド ビギナーズ・マインド」
あのスティーブ・ジョブズ氏が若き日に師として仰いだ人物で、こちらの著書があります。ジョブズ氏の愛読書とのことです。
本書とは異なりやや禅問答のような内容が続いていきますが、何度も読みたいと思わせる禅の基本が詰まっています。
時間を掛けてでも理解したいですね。
ここでちょっと立ち読み。
まとめ。
行き詰った時や悩んだ時には無の境地になりたい!
人や物質の俗世間から離れたい!
そう思っていた矢先にストレートなタイトルの本書に出会いました。
あなたもこのストレートさに惹かれましたか?
読んでみると、そんな境地になりたいと願う以前に、「無」というものを、そもそも漠然と捉えてしまっていたことにも気付かされました。
そこは謙虚に反省です。
ついでと言っては失礼ですが、その概念や禅にまつわる歴史的背景まで盛り沢山に知れたのは財産ですね。
人間形成としても触れ続ける価値も感じさせ、精神力や集中力を高める必要性がある時には、再び読んでも良さそうです。
私はもう二度・三度読んでいますが、もっともっと。
概ね良いタイトルと内容だったと思わされています。
本書に限らず、一人でも多くの方に禅の面白さが伝われば嬉しく思います。勿論お読みのあなたにもです。
禅の考えを知ると、とらわれなくなり、心が楽になります。
坐禅も組んでみたいと願望も沸きます。
「禅は無の宗教」
春秋社
「無」こそは、あなたの自由を育てる支え。
最後に:
本一冊で悟れるなんて甘いことは言えません。
ただ、こう言わせて下さい。
本書には日常の中で禅の心を活かし、あなたらしく振る舞えるヒントが眠っています。
そのヒントも、厳しい修行や鍛錬を重ねた禅僧が書いたからこその重厚感と品格、さらには説得力が含まれています。
一方で、では私たちに出来る修行は?
らしく振る舞っていくために。
実は禅という宗教は、「この自分を直視せよ」と常に教える。きびしく自己究明を促す宗教だといっていい。
それでは一体、どんな自分になればいいのであろうか。(p186)
「無」の意味から教えられる、小さな己の自尊心に溺れずに受け容れていく心の育成です。
そうして空っぽになりながらも知的になっていく。
日本人として、そんな禅の真実に少しだけでも触れられる本書は財産になるのではないでしょうか。
「無」こそは、あなたの自由を育てる支え。
「禅は無の宗教」を見たい
(Amazonのリンクに飛びます。その他は下記にて)
スポンサーリンク | スポンサーリンク |
「ガチで独創的なレビュー:「禅は無の宗教 福島慶道」」への5件のフィードバック
日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)