その言葉を使って良いのは、
やるだけの事をやってから。
私がデザインの仕事というものに従事していく中で感じ、戒めてきた事でもあります。
マーケティングを学んでいく中でのターゲティングを知った時にも同様に感じました。
考えの変遷は多少あったようにも思い出されますが、割りと学生時代からそんな事を思っていたように記憶しています。
どうしてもアートやデザインの世界では、表題の台詞をいとも簡単に吐いてしまう人も多く、ビジネスの世界でもそれは否定は出来ません。
その気持ちは大いに理解は出来ます。私にだってある。
あなたは如何ですか?
ただ、多くの危険も孕んでいるとある人に告げた時の経験談からの考察です。
お役に立てましたら幸いです。
確かにわからない人を相手にしたり、追い掛けても仕方ない。
そう思います。激しく同意。
でもよくよく考えてみて下さい。
それは最初からわかりますか?
何もしないうちからわかりますか?
例えば、もしあなたがあるお店にいるとします。
最初にアプローチがあった時に、いきなり、
「わかる人だけわかればいい」
そう言われた時の事を想像してみて下さい。
何か感情が芽生えましたか?
その感情のまま、まずは私とそのある人との会話を読み進めてみて下さい。
Contents
「ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
ある人というのは友人です。
学生時代のかすかな記憶。追憶の物語といえば体裁は良いでしょうか。
ある日の晩、その友人から、そんな言葉と共に連絡を受け私は会う事になりました。
どうやら困った事があったよう。
待ち合わせのレストランに私は到着。
既に来ていた彼に気付き、席へ。
「どうした? 見てもらいたいものって何?」
席に着くや否や、気になって仕方なかった私は質問をしました。
「うん、これなんだ」
彼は私の早速の質問に特別抵抗もせず、傍らのカバンから一冊のファイルを取り出し、私の目前に広げました。
「実はポートフォリオをプレゼン用に作らされていて、絵も描かないといけないし、そういうもののまとめ方がよくわからないから相談しようと思ったんだ」
ここで、私の専門分野であるデザイン用語が出て来てしまいました。ご存知ない方の為に軽く説明させて下さい。
ポートフォリオは自らの作品集でもあったり、作品のプレゼンテーションをするにあたっての順を追った簡単な資料だったりします。
たまたま私がそういう分野の人間だった事もあり、彼は私に相談をしたという訳です。
「今ちょっとこんな感じで作っているけど、どう?」
勿論友人なので好意的に相談に乗り、そのファイル(ポートフォリオ)をじっくり見ていく私。
彼がこのような事は不慣れである事も踏まえながら、質疑応答。
あるページに差し掛かり、ささやかな事件が起きました。
私は彼にこう質問。
「このページのこの部分はちょっとわかりづらいんだけど、どうだろう?
場合によっては省略しても問題は無さそうかな。勿論、載せる理由があるなら尊重する」
「ああ、それはわかる人がわかればいいよ」
「そうなんだ」
特別何の感情も無く、見続ける私。
そのうちに彼が、
「絵の方はどう? 一応自分なりにこだわった」
「ああ、悪くないよ。ただ、画力が(笑)」
誤解はしないでほしいのですが、2人の関係性は良好なので冗談で済む発言です。絵の事を言い出してしまうと、私は専門分野ですので致し方ありません。
「まあまあ(笑) でも、わかる人がわかればいいよ」
「!!!・・・ごめん、一つ言っていい? そういう発言、
こだわりよりも投げやりに聞こえる・・・」
「確かにわかる人がわかればいいと思う。最終的にはね。それにオレにだから言っているのかもしれない。
でも相手は初めて見て、君の説明を聞こうとしている。君も伝えなきゃいけない」
続ける私。
「それに最初から問答無用で、わかる人がわかればいいなんてもの出されて発言までしたら・・・」
逆に誰も相手にしないよ。
「そういう人のものを見ようとも思わない。
伝えるだけ伝えないと、何もわからないし、始まらないじゃん?
それなら、わかる人ってどんな人? それを説明出来るかい? 力になりたいから言っているんだ。それはわかってほしい」
逆に私には自分の分野に対するこだわりもあったのかもしれません。
その率直な想いが言葉になった瞬間でした。
しかしながら、険悪になるわけでもなく、するつもりも無くその日は終わりました。
私自身も学びはありましたし、彼には感謝しています。
後日、彼はそのプレゼンテーションを無事に成功させたそうです。
メールでの連絡を受け、微笑んでいる私が居ました。
時は経ち、現在。
それをしっかりと知るようになり、自らの仕事にも取り入れていくようになりました。
そんな言葉も概念も知らずにいたその時言った事は今でも、心に刻まれています。
わかる人、わからない人と世の中にいる事は否定しませんし、むしろ真実で自然な事です。
参考文献:「一生、お客に困らない!日本人の知らなかったフリーエージェント起業術」
ただ、ターゲティングは最初からわかる人だけわかればいいの気持ちで始めるものではないのではありませんか?
見極める為にやるだけの事をやって、最終的にわかる人だけわかればいいで終わるのがベストなのかなと主観では思っています。
その見極める作業やプロセスは他の記事で触れる事にさせてほしいのですが、こんな事実もあります。
デザインやプレゼンテーションを仕事としていくと、説得・説明の仕事やターゲティング、およびリサーチが8割から9割を占めています。
だから、わかってもらえなかったのはその8割から9割の仕事が出来ていないという事。
恐らくはどんな職種でも、ターゲティングやブランディング、そしてマーケティングに同じような比率を割いていると思われます。
それだけ大切で、要の仕事という事になりますね。
だからこそ、
最初に言ったら負け、との戒め。
要であるはずの仕事から逃げる事になります。
冒頭にも書きましたが、私も言いたくなる時はあります。
ある程度は経験で焦らず乗り切る事も出来るようになったものの、プレゼンテーションをする際には、やり切ろうと思っています。
自分の中でやり切った上で、ターゲティングをするなりふるいに掛ける事が良いのかなと信じています。
やり切るだけの労力を使わないと、私も相手も何もわかりませんね。
最後にこのサイトの事を言っても良いですか?
このサイトでもターゲティングはしています。
そう言ってしまうと響きが悪いように思うかもしれませんが、決してそうではありません。
※参考文献:「市場独占マーケティング」
ご覧頂ければわかるかと思いますが、レビューにしても考察にしても、しっかりと作り込んでいます。
文が長いとか、分量が多いと感じる事もあなたにあるかもしれません。
その様は、じっくり読みたい方や知りたい方に向いているという言葉に置き換えても差し支えは無いと思っています。
その上でもし、それを良しとしない方がいるのならば、それは致し方ない事だと同時に思います。
その発言にご容赦を求めてしまう一方、ここまで述べてきた事はそのようにやり切る事なのだと感じ、公私共に形にするように努め続けてきました。
「わかる人だけわかればいい」の言葉の2面性。
言いたくなった時が来たら、言っても良いくらいやり切っているかと問いかけてみましょうか。
やり切っている時は、むしろあなたの真の自信の力の方が、投げやりの意味に勝っているのかもしれません。
私がこれまでにそうなった時は、大抵勝っていて、尚且つ未練が全くない時でした。
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「「わかる人だけわかればいい」と言いたい時があっても、言わない方が良い理由の物語。」への1件のフィードバック
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