ガチで独創的なレビュー:「悪魔のマーケティング タバコ産業が語った真実」(前編)



悪質で許しがたいビジネス戦略の真実がここに。

かなりブラックな内容です。


人に害悪をもたらすタバコ。
長年タバコ産業がその事実をひた隠しながら、どのようにして巨大になり、地球規模で根を張っていったのか。

そのマーケティングの手法と歴史に迫ります。
その内訳は、
内部文書や証言による暴露に近い形で追っていくドキュメンタリー。TV番組を見ているような雰囲気さえもありますね。

後ほど、関連動画も用意しましたのでご参照下さい。

そして本書は元々洋書です。1998年に英国で出版された
“Tobacco Explained”
を原著とします。






不思議に思えませんか?
あなたがたとえ喫煙者であろうとなかろうと。

まず考えてみて下さい。

タバコというものは体に害のあるものですよね

昔はともかくとして、今では周知の事実で、科学的・医学的にも証明されています。

だからこそ、その産業は本来売ってはいけないもの、あるいは売れるはずがないものを売らなければいけない。
そんな状況で、どのようにしてきたのかは素朴な好奇心が沸きませんか?

当然そこには、いけない手法やカラクリがあると予想しつつ、そしてある種のジレンマを感じながらページを進めていきます。

本書の面白さは、(中略)いかにしてタバコの危険性を世間の目から隠し、政府の規制を逃れ、子供や若者や女性や途上国市場にタバコを売り込んでいったのか ー 。(p4)


いけないものだからこそ余計に知りたくなります。
タバコは不思議です。そして人間って怖い。

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本書の概要と評価。

 

原題 “Tobacco Explained” が意味するものは。


直訳すると「タバコは語った」。

何を?
という部分が本書の内容です。



「悪魔のマーケティング」というタイトルは意訳でもあり、インパクト重視なのでしょう。あながち間違ってもいませんが。
そして内容はやはり、実際に語られた証言をメインにページを割かれていきます。

タバコ産業が自らタバコの害を語り、タバコを成人男性だけでなく、未成年者に、女性に、発展途上国に、旧共産圏諸国に、どのように売りさばこうとしてきたかが、タバコ産業関係者自身の言葉で説明されているという意味です。(p269)


これは本書の一部分ですが、一貫してタバコ産業と暴く側の対立構造が基準。
学会や報道、そして裁判での善悪のバトルが続きます。

舞台は主にアメリカ、そして少し英国。

タバコ会社も同様で、私たちがよく知るところのフィリップ・モリスやR・J・レイノルズといった米英の大企業が登場。
また裁判に関する部分は良くも悪くもアメリカらしい気質も見えてきます。そこはちょっと勉強に。

本書に目を通すと、その衝撃的なすべての内容がタバコ産業の内部関係者の発言によってつづられていることに驚きを隠せません。(p3)

 

実は禁煙に役立ちそうな内容。


時代背景は1950年代から2000年前後まで。

1997年、リゲット社は、「タバコには依存性がある」と認めた最初のタバコ会社となりました。しかし、いまなお多くのタバコ会社は、ニコチンの依存性を公然と否定しています。(p51)


これを読んであなたはどう思いますか?



私見では、今からそう遠くはない時代までバトルが続いていることに驚きです。
企業の抵抗ぶりもアメリカらしいところでしょうか。

そうして資料や証言から真実を知っていくにつれて、タバコを買うことや吸うことが馬鹿らしくなるのも確かです。
先の禁煙セラピーに続いて卒煙(と私は呼んでいますが)へのトドメにもなりました。

加えて、タバコやタバコ産業に対して軽蔑の念さえ芽生えてしまうのは、私だけではないはず。
もっと早くに知っておきたかった気も起きつつ。

これらは吸う人間もしくは過去に吸ってきた人間からの視点なので、元々吸わない人には理解出来かねることかもしれません。

全体の構成は4つに分けられる。


独断ではありますが、このように。

  • タバコの本質
  • 広告戦略
  • タバコのカラクリ
  • 市場の拡大


全8章の中には、このように無駄無く盛り沢山。そしてそれぞれ密接に連鎖しています。

これらはタバコに限らず、何か別の通常のビジネスにとっても必要なものですね。
だからこそ、完璧に近い流れでやってきたタバコ産業に何だか複雑な感情も。

タバコ産業は実に巧妙な宣伝活動を行い、世間を欺いてきました。(p77)


人としてあり得ない文言も出てくるのが人間不信になりそうです。



特に中盤第4章の広告・宣伝戦略の中には知りたくもない本音が散見されます。
善意を捨てるから巨大になるという不都合な真実を教えられるようです。そうして、


沢山のカラクリを知っていく。


広告手法やマーケティング、そしてイメージ戦略を主としたブランディング。

それに加えて、”ライト”と名付けられたタバコの正体。

皮肉にも好奇心がムクムク。
そして実際の広告のメカニズムは勉強になってしまいます。

そこには怖さも実感し、裏を返せば武器にもなるということです。

1960年代、タバコ産業はタバコと癌の因果関係を否定するために広告を利用します。タバコ産業は、広告規制は”宣伝広告の自由”を侵害する行為だと繰り返し主張します。(p114)


やはり、この辺は世界規模で広げていった一因。
単なるビジネスと考えても重要な箇所となるので、多くのページが割かれています。

この悪魔のマーケティングの醍醐味です。

タバコを通じて世界の縮図を見るよう。


もっと言ってしまえば、歴史さえも眺めているよう。

この表現が相応しいかはわかりませんが、帝国主義時代の列強の侵略の如くマーケティングをしているような気さえ起こさせます。

BATはEUのタバコ広告規制の裏をかく方法を考えつきます。まず、タバコとおなじブランド名のコーヒーを発売するという、合法的な宣伝活動を企て、すぐにクアラルンプールで実験に移しました。(p135)


終盤での途上国への販路拡大の思惑を読んでいるとまさにそう言えますね。



その中で、日本もアメリカのタバコ産業のターゲットとなって今に至りますが、その事実にも腹立たしさは否めません。
そしてまた、その巨大な産業と戦ってきた組織には頭が下がります。

この商売は誰も幸せにさせないですね。
実務的には面白さを感じながらも、倫理的には何だかやるせない気持ちばかりが残ります。

気になった箇所や、さらにお伝えしなければならない内容の詳細をレビューしていきます。


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タバコってそもそも何だろう?


喫煙は個人の自由だと思いますか?

でも実は、そんな意志とは裏腹に「吸わされている」のです。そこに自由は無かった・・・。


序盤の第1章と2章では、そんなタバコの本質を科学的・医学的に明かしていきます。


タバコを吸う方も吸わない方も、タバコの正体についてちゃんと考えたことのあるひとは、案外少ないのではないでしょうか。(p1)


実は禁煙セラピーも、その本質を認識させていくやり方なのです。
よくよく考えてみると、煙を吸って美味しいというのも変な話。

本質は違う所にひっそりと存在するので、時代と共に紐解いていきましょう。



1950年代以前・・・ここでは戦前とまとめて表現してしまいますが、それまでもタバコの害がそれとなくささやかれていたものの、証明出来るだけの科学的・医学的進歩がありませんでした。

さてそこから、有害か否かのせめぎ合い。

「喫煙は肺癌の原因ですか? YesかNoで答えなさい」
1998年になってもまだ、タバコ産業の代理人はこの質問に率直に「Yes」とは答えませんでした。(p19)


嘘をつき通すタバコ産業。
それは裁判の勝敗と自分たちの信用のためのようにも思えてきます。保身というものです。

タバコ産業の戦略はより自己防衛的になり、前述したような安全なタバコの開発を中止しました。そして、タバコの有害性を否定し、法律的な措置で対応することにしたのです。(p28)


ただこれだけでこの争いは終わりません。ささやかれていたことはまだあります。

有害か否かの次は、
依存性が有るか無いか。


ここでもバトル。

半ば屁理屈とも言えるやり取りにウンザリする部分は否めません。
タバコ産業としても、よくもここまで弁解が出てくると感心すらしてしまうのはダメでしょうか。


そして依存性があることを裏では認めておきながらまた隠し続けます。
あくまで喫煙は習慣である、と。

1970年代初め、タバコ産業は弁護士には悩みの種がありました。「ニコチンに依存性がある」という事実を認めてしまうと、これまでタバコ産業が自己防衛手段として用いてきた「喫煙は自由意志によるもの」という弁明が通らなくなる恐れがあるのです。(p50)


ですが、タバコ産業の一番の要は医学的に依存させること、そして中毒にさせること。
そうすれば人は意思とは裏腹に買い続けるというメカニズムです。



企業の存続のためにはタバコをやめられたら困るのです。

喫煙者を増やしタバコ市場を成長させるには、ニコチンの依存性を利用するのが一番です。(p68)


こう考えていくとタバコという物体はつくづく不思議なものだと思いませんか?
有害であって依存性もある。だけども、平然と世界中で売られている。


タバコはニコチンを喫煙者に手軽に注入するための針のない注射器です。タバコを吸う行為は、ニコチンを静脈注射並みに急速に脳に到達させるための手段です。(p72)


こんな性質の後には、大きなイメージ戦略も輪をかけて襲ってきます。



タバコはカッコ良い? 憧れ? 大人?


イメージ・広告戦略の真実へ。

タバコ産業のマーケティング部門役員は、タバコに「大人の世界への入り口」といったイメージを植えつけているといいます。(中略)
たとえば少年に向けては、大人の証明であり、男らしさの象徴であり、そして自信や自由、反抗のシンボルといったイメージです。少女に対しては、女性らしい印象をタバコに結び付けたのです。(p75)

先ほども書きましたが、煙を吸うなんて、よくよく考えてみると変なこと。

でも何故、吸い始めるのか?



それは、味や風味なんかよりも、大人のイメージや好奇心が勝るからです。
そんなお年頃。

ただこれは、悲しいかな、ビジネスとしては一理あるのです。
つまり、タバコ業界に限らず、子供を相手にするということは鋭い。そして怖い。

幼少期や若年期の体験というのは多感であるがゆえにとても大きく、初めて目にしたもの口にしたもの、体験したものを好きになっていく確率は非常に高いのです。

日本の世の中に目を向けても、高度経済成長期の全国の子供たちの多くが、毎日のようにやっているTVの巨人戦によって巨人を好きになったように。

メディアを使って広げ、子供たちにイメージを植えつけることをタバコ産業がやってしまったのです。

未成年をタバコ依存症(ニコチン中毒)に仕立て上げることは、タバコ産業の将来に必要不可欠なことなのです。(中略)一度吸い始めたブランドに対して忠誠心を抱き、結果として将来に渡る確実なタバコの消費者になってくれます。(p105)


喫煙者なら悔しさも芽生えてくるでしょう。
同時に、永い年月を掛けてジリジリと心と脳を侵食していった完璧な戦略に複雑さも・・・。

※参考記事:


コピーと広告の怖さ。


そんなイメージ戦略を読んでいくと、広告好きには楽しくもある一方で、プロパガンダのような洗脳にも思わされてきます。

いかにして思い込ませるか。
そして、時にそのプロパガンダには人種やアイデンティティにも訴える巧妙さも存在することに気付かされます。

「このタイプの人にはこうすれば心を動かしてくれる」


・・・どこかの国のようにも感じませんか?



伝えたものの勝ちなのでしょうか。
戦前のタバコ産業の黎明期には、今ではあり得ない
こんな文言も。
 
「フリップモリスです。医学界の権威によれば、タバコは鼻や喉の健康によいそうです」(p118)

!!!

こうして広告を制してきたタバコ産業は、その後さらにある新しい言葉を駆使し始めます。
それは新しいカラクリとも表現出来て、そこでも再び抵抗するための争いが始まるのです。

繰り返しますが、タバコ産業の本質はある意味で「イメージ産業」です。香りや使っている葉の違いが多少あるだけで、紙巻きタバコの各ブランドにさほどの差はありません。(p141)
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ガチで独創的に読んでくれたあなたに謝謝。

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