Googleもインターネットも、芸術の歴史と同じ道を辿った。



その心は”人に返った”。

文明やテクノロジーは、とりあえず独りでそそくさと、未来へ歩き出すものです。

夢や未来の輝きがあるので、私は否定しませんし、賛成派です。
あなたは如何ですか?

独りで歩き出して、人間そっちのけで行ける所まで行ってしまえとさえ思う事もあります。
歴史や因果は巡るものなので、行き着く所に行き着いたら、自ずと人間に返ってくる道を歩んできたからです。

今、どんなに進んだテクノロジーもあなたの元に返ってきたというお話です。



GoogleのSEOや、インターネットビジネス。

それらを学んでいる中で感じた事があります。

私は10年以上前、インターネットビジネスの商材を購入した事があります。試しにどんなものなのかと。
誤解の無きように説明を付け足したいのですが、決して「いかがわしい」ものではなく(そもそも当時金銭には特別困っていません)値段も張るものではなく、単なる好奇心でした。

結論から言いますと、


スポンサーリンク




当時は小手先でどうにかなるものが多かった。


今も場合によってはあるのかもしれません。
また、詳しい方にとってはまた別の見解もあると思います。

その頃のものを眺めていると、(素人っぽい言い方をすれば)機械やハイテクに長けてさえいればどうにかなるものがありました。

あなたも何か、そんな商材なり書籍をお持ちですか?
心当たりがあったら思い浮かべてみて下さい。

機械に長けている方達の持っている視点でこそ、出来上がったものが多く、それらは時代を先取っていたのかもしれません。
ですが、今となれば使えるものがあるかどうか。
本質ではなかったのかなとさえ感じます。
時に微笑ましくも。

例えば、スマートフォンではなく、携帯電話(ガラケー)でインターネットをやるようになった時代の、携帯ネットビジネス。



具体的にあったのが、
「ポチポチするのが面倒なので、割りとすぐ購入に至る」
というフレーズは、まず今では使えませんし、乱暴な言い方をすれば消費者を舐めている。

GoogleのSEOも。


かつては上位表示をさせる為の被リンクに代表されるテクニックは数多くあったのはあなたもご存知でしょう。
本質に目を向けなくても、テクニックに長けていれば結果になった時代もあったかと思いますね。

黎明期であればあるほど、緻密さに欠けていても結果になると言い換えても良いかも知れません。

例えて言うならば、
プロ野球などに代表されるプロスポーツの記録は、昔のものほどとてつもない記録だったりするような。
メジャーリーグベースボールの歴代最多勝サイ・ヤング氏の記録511勝なんて絶対に更新出来ません。
実働年数20年だとしても、割り算してみて下さい。ルーキーの年から何勝ですか?
プロ野球に入団したり、メジャーに昇格してすぐに、25勝も挙げる選手なんていません。

確立されてから同じような数字にするのはどの世界でも至難の業です。

いずれにしてもそれらを想う時には、古典の世界のような”栄枯盛衰”を感じます。

スポンサーリンク

 

そして、人に返る。

 
成熟した余裕が出来ると人に返るサガ。

最近のSEOも、隆盛しつつあるコンテンツマーケティングも、中心にあるのは「人」になったと思うのは私だけでしょうか。

何故そう思うのかは、



やはり冒頭の行き着く所まで行かない限り、役に立つものにならないから向上しないといけない現実があるからだと思います。

文明万歳から、人へ。
歴史を振り返ってもその繰り返しでした。

アールヌーボーってそんな感じだった。


名前くらいなら知っている方も多いでしょう。

ここは書籍のサイトなので詳細は割愛しますが、歴史の教科書に出て来るような文化も芸術も、文明の喜びに飽和すると、人や生物を慈しむ流れになっていきました。

先のアールヌーボーはその代表例。
簡単な要約をすると、20世紀初頭の大戦による急激な世界や科学の進歩に対し、今一度生物に目を向けようという潮流でした。
ヨーロッパがその起源です。
今のWEBの世界と似ていますね。
インターネットが起きた当時もそんな感じの所も多々あったと思い出されます。



成熟は人を巻き込む。

 
今、私達はその完成の中にいる。

そう言っても良いのではないでしょうか。

SEOもテクニックよりも人にとって有益と思われるものを上位に。
コンテンツマーケティングも、モノを売るより、想いを売る。

その成熟は学び甲斐もあると感じていますし、嬉しく思います。

ついて行けなさそうなもの達も、余裕を持って一般社会に降りて来ました。
やはりかつての文明が歩んだ道と同じでした。


でもその次には何が待っているのか?


私は”文化”になる事だと考えています。
今はその文化になっていく途上でしょうか。
老若男女の当たり前のものになり、批判も賛成も無く、空気のように存在する。
電話のようなものですね。

出来た当時の事はわからないですが、現在電話の事を否定する人はほとんど見かけません。
肯定する人もほとんど見かけません。

同じようにWEBの世界も人の生活に、DNAレベルで溶け込む。
原点や本質を忘れないようにしながらも、そんな時代が訪れる事を楽しみにしています。

スポンサーリンクスポンサーリンク
 

こんな記事も読まれています。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

ガチで独創的に読んでくれたあなたに謝謝。

Googleもインターネットも、芸術の歴史と同じ道を辿った。」への3件のフィードバック

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)